2010年03月10日
チベット寺院4 神変大祈願祭
1959年の今日3月10日、チベットに中国軍が侵攻し多くのチベット人が犠牲になりました。今も続く受難。
前に書いたケンスル・リンポチェもこの日、ラサのデプン寺で攻撃を受け、命がけでインドに亡命。
このように皆さん毎日祈りを捧げ、まじめに暮らしていたのにどうしてこのような目にあってしまうのですか?
ゴマン学堂長のケンリンポチェ師は静かにこう語った。
因果応報というものがあります。私たちの気付かない遠い昔にやってしまったことが還ってきていることがあるかもしれません。みんな同じ人間、私たちの一部と考えれば怒りはなくなります。私たちを成長させるための試練だと考えます。
あまりに深い慈愛の言葉に胸を打たれました。ここのお坊さんたちに恨みの念は全く感じませんでした。本当にこのように目指して生きているのだと思いました。執着、怒りを捨てひたすら祈る。チベット僧侶たちの尊さに涙が出そうになりました。
神変大祈願祭に参列するためにカンデン大僧院へ
デプン寺から車で10分くらいのところ。ちょうど神変大祈願祭というお祭りがあり、デプン寺からも僧侶が行き、
毎年会場が交代するそうで今年はカンデン大僧院で行われます。









前に書いたケンスル・リンポチェもこの日、ラサのデプン寺で攻撃を受け、命がけでインドに亡命。
このように皆さん毎日祈りを捧げ、まじめに暮らしていたのにどうしてこのような目にあってしまうのですか?
ゴマン学堂長のケンリンポチェ師は静かにこう語った。
因果応報というものがあります。私たちの気付かない遠い昔にやってしまったことが還ってきていることがあるかもしれません。みんな同じ人間、私たちの一部と考えれば怒りはなくなります。私たちを成長させるための試練だと考えます。
あまりに深い慈愛の言葉に胸を打たれました。ここのお坊さんたちに恨みの念は全く感じませんでした。本当にこのように目指して生きているのだと思いました。執着、怒りを捨てひたすら祈る。チベット僧侶たちの尊さに涙が出そうになりました。
神変大祈願祭に参列するためにカンデン大僧院へ
デプン寺から車で10分くらいのところ。ちょうど神変大祈願祭というお祭りがあり、デプン寺からも僧侶が行き、
毎年会場が交代するそうで今年はカンデン大僧院で行われます。
仏教の問答。手を叩きながら仏教の内容の解釈について議論を闘わせます。
黄色の帽子の僧侶が審判で、左右の人のどちらの解釈が正しいか判断します。
何を言ってるのかわかりませんでしたが、とても真剣に議論する姿を見て、
ブッタの教えとは何なのかー と真剣に向き合い再検討し、深く洞察する
これは本来あるべき仏教の姿だと感じた。ただ教義をうのみにするのではなく、
議論をすることにより深く進化していくのだろう。仏教が生きていると思った。
黄色の帽子の僧侶が審判で、左右の人のどちらの解釈が正しいか判断します。
何を言ってるのかわかりませんでしたが、とても真剣に議論する姿を見て、
ブッタの教えとは何なのかー と真剣に向き合い再検討し、深く洞察する
これは本来あるべき仏教の姿だと感じた。ただ教義をうのみにするのではなく、
議論をすることにより深く進化していくのだろう。仏教が生きていると思った。
小学校にいるはずの小さなお坊さんたちも来ていました。ほんとにとってもかわいかったです。
この子たちもあの過酷なヒマラヤを超えてインドにたどり着いたのでしょうか。。。
この子たちもあの過酷なヒマラヤを超えてインドにたどり着いたのでしょうか。。。
カンデン寺のラマに謁見。長老で威厳のあるお方でした。
2000人近い僧侶が一斉にお経を唱える姿に圧倒されました。
一般の人は普通お寺の中に入れません。近所のチベット人はみんなお寺の外でお参りしてました。
地の底から湧きあがる荘厳なお経を聞いていると、とても懐かい感情が沸き起こる。
こうやってみんなで一緒に祈る、その時は辛いと思うこともあったかもしれないが、なんて幸せな時間だったのだろう。
価値観がバラバラになってしまった現代社会にいると、高い志を目指す者同士のこのような至福の一体感は感じれない。。。
こうやってみんなで一緒に祈る、その時は辛いと思うこともあったかもしれないが、なんて幸せな時間だったのだろう。
価値観がバラバラになってしまった現代社会にいると、高い志を目指す者同士のこのような至福の一体感は感じれない。。。
バターでできた彫刻。暑くなれば溶けます。諸行無常・・・。
インドの灼熱の太陽に照らされるカンデン学堂・・・
どうかチベットに平安を
どうかチベットに平安を
Posted by アマム at 21:42│Comments(0)
│チベット寺院